渋川商工会議所ご紹介

渋川商工会議所の建物

この建物は、昭和6年11月26日「有限責任渋川信用組合」として竣工しました。群馬県内において数少ない初期鉄筋コンクリート造の建物で、現存する鉄筋コンクリート造の金融機関店舗としては、県内最古といわれています。

 外観は南側の正面の意匠を左右対称とし、腰部分を御影石のルスティカ積、立上がる柱型をタイルで張り、壁を人造石洗い出しで仕上げ、西洋の伝統的な建築様式の要素を各所に取り入れています。建造当時、近世復興式とよばれました。この建物は西洋の様式建築の要素を取り入れた建築、すなわちアール・デコの建物です。

 第2次世界大戦中の米軍機による機銃掃射弾痕が残り、歴史的にも貴重な建物であることから、平成23年7月27日、渋川市重要文化財の指定を受けました。

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渋川商工会議所の屋上からみた渋川市

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東側

東南側

南側

西側

北側

渋川商工会議所の題字

 渋川商工会議所の会頭室にある題字は明治から昭和にかけて小説家・詩人・劇作家・画家、また貴族院勅選議員として著名であった武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)翁の直筆の題字です。

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渋川の空襲

 昭和20年(1945)7月30日、午前7時25分頃から約1時間、米国空母「ランドルフ」の艦上爆撃機カーチスSB2C-4ヘルダイバー13機による渋川地区の空襲が行われました。米軍の攻撃目標は2つの橋梁(大正橋と坂東橋)・佐久発電所・鉄道・工場(関東電化と関東製鋼)でした。
 各機は500ポンド(250kg)通常爆弾2発を搭載し、7.7ミリ旋回銃2門と翼内には20ミリ固定機関砲2門で武装していました。攻撃は13機のうち11機が高度762メートルから2つの橋梁に21発の爆弾を投下、佐久発電所に1発の爆弾を投下し。そして2機が爆弾4発を街中に投下しました。その結果、渋川駅構内、土木出張所、上郷地内の桑原などに落下しました。
 その後全機が工場と鉄道めがけて、7.7ミリ旋回銃と20ミリ固定機関砲による機銃掃射を行い。関東電化、関東製鋼などの工場、前橋-渋川間の東武電車、さらに上空から目立つ大きな建物が狙われました、当建物の外壁東面やガラス窓、二階バルコニーに残る被弾痕がこの時のものです。
 この空襲によって、渋川町やその周辺地域(北橘村・南橘村・前橋市など)には大きな被害が生じました。死者17名、重軽傷者45名、建物被害は209棟に及びましたが、当時の新聞は軍事施設・工場・一般民家とも被害はほとんどなかった、と伝えています。

作成 菊池 実
監修 渋川市文化財調査委員会議
出典 艦上爆撃機・空襲関係「アメリカ海軍海兵隊戦闘機報告書」
   空襲被害・新聞記事関係「渋川市誌第六巻」渋川市
              「戦災と復興」前橋市

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